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京都大学全学共闘会議


京大時計台開放

われわれは大学にをつげた

 全京大の闘う学友諸君、全関西の戦闘的学生・労働者諸君!!
われわれは本日の現在的時点において、すなわち機動隊警察権力は構内を臨みつつ東一条に集結している一四日五時三〇分の段階で、一三〜一四闘争の現段階的中間総括を、ここに提起し、圧倒的な鉄の意志統一を行動的にかちとり、更なる前進の礎石を構築しなければならないだろう。

 われわれがなによりもまず分析しなければならないのは、一三〜一四闘争が切拓いた局面とは何であったのか、ということ、これである。一三〜一四闘争は、第一に、大学当局の無為無策無対応性を、すなわち、日共=民青派を事実上、傭兵として黙認し、あるいは防壁として位置づけることを条件とした大学当局の無対応をバクロした。当局=奥田東は、何故に、一三〜一四日という決定的に重要な時点に、京大を留守にできたのか。それは、明らかに、民青=日共権力に本部防衛を委託したからである。したがって、われわれは、逆バリ=学生部封鎖実力解除以来、再度のこの当局の偽瞞的な無対応性を弾劾しなければならないであろう。しかも当局の無対応は、十四日五時二十分段階で、いまやその本質をあらわにした。すなわち、当局の無対応とは、機動隊K察権力によるわれわれ学生大衆の強権的威嚇・圧殺ということであったのだ。当局は、日共=民青を防壁として使いながら、この防壁が解体され、不能化したと判断するや、K察権力を登場させ、かくてその基本的姿勢を、つまりエセ民主主義的帝国主義大学の本質をみずからバクロしたのである。

 第二にわれわれの一三〜一四闘争が切拓いた質は、(大衆武装) ということであった。1000名の大衆武装部隊が登場し、しかも十四日一杯、本部構内で武装部隊を維持し不退転のデモンストレーションを展開しえたということである。大衆的な武装力を血肉化しえたということである。われわれは、この大衆武装部隊の登場とその持続性・強靭性・爆発的拡大能力を、運動の (新しい質)して、新たに蘇生しっつある学生権力を実体的に担う力量として、把握し、これを固く固く握らなければならないであろう。一カ月前までは民青=日共派が一元的にその支配を貫徹していたこの京大キャンパスにおいて、一三〜一四闘争は、きわめて高次な闘争の形態と内実を、萌芽的にではあれ定着させたのである。われわれは (一挙的な飛躍)を遂げたのだ。一点は突破されたのだ。このことをここで確認し、その持続的全面展開を保証する必要があるのだ。いまや、われわれは、その一人一人が、こう叫ぶことができるのだ、 −強力な個人を用意せよ!!
 闘う人間の (闘いの中の結合) 以外に、われわれに連帯はないのだ!!
戦線を持続せよ!!
戦線を拡大せよ!!
執拗な戦闘を組織せよ!!
権力・暴力の問題に対する (とらわれざる態度) を保証せよ!!‥− と。
 しかし、それにしても、運動のこのような (一挙的一点突破) はいかにして可能であったのか、そしてわれわれの運動の現在的局面は、どのようなものとしてあるのだろうか。この点を深く考察する必要がある。われわれの運動は、顕在化し展開し始めてから一カ月になるが、この間、われわれの政治性は、どのように展開してきたのか。こうした一連の問題に明確な解答を与えなければならない。

 闘いは明確に第三段階にさしかかっている。すなわち、第一段階は寮三項目要求によって規定された段階であり、これは、全共闘=総長団交をメルクマールとして第二段階に、つまり八項目要求によって規定される段階に、移行した。この過程は、個別寮問題が即自的には全学問題をはらみながらも現象としては個別性の枠を踏み越えていない段階から、全学問題化の突破口をつかみえた段階への推転であった。だが、この第二段階の8項目は、むしろ、第一段階の個別性の質に制約されて、いまだ防衛的なネガティヴな性格のものとしてあったのである。それは個別項目を個々的にみたかぎりでは、攻撃的な性格をもちながらも、その攻撃性は、すぐれて、過去に規定されていて、決して未来を展望する攻撃性ではなかった。したがって、われわれは、八項目要求の提起と同時に、それ自体の克服という任務を追求しないわけにはゆかなかったのである。

われわれは真に攻撃的な普遍的スローガンへの展開を模索し、主要にこれを追求してきた。つまり、防衛的政治から攻撃的な真・に主体的な政治への転換が追求されなければならなかったのである。これが、第二段階の特質であった。そしてこの質的転換は、理念的には、去る十一日の全国学園闘争勝利のための連帯集会(京大)で主体的に実現されたのである。すなわち、京大全共闘の十大闘争スローガンの提起が、それであった。

すなわち、
 @東大を突破口とする権力の大学専制支配を、全国大学バリケード・ストでハネかえし、二月中教審特別答申を粉砕せよ′・全国学園闘争に勝利せよ
 A奥田・当局の国大協自主規制路線粉砕′
 B資本の大学支配=産協・軍協路線粉砕′・
 C権力・当局の共犯者を告発せよ′自共=民青派の城内平和路線=運営協議会方式粉砕!
 D一切の管理機構粉砕/ 教授会自治・講座制ギルド粉砕
 E一切の試験制度を粉砕せよ!
 F寮三項目要求貫徹′ 総長・学生部長は闘争妨害を自己批判し、辞任せよ!
 G京大権力の中枢=本部時計台を占拠せよ!
 H偽瞞的C代議員大会のデッチあげを粉砕せよ!
 R70年安保闘争にむけて怒涛の進撃を開始せよ!
 以上の10大闘争スロ・−ガンは、11日段階の行動スローガンを含んでいる点で特殊ではあるが、その基本的性格はStruggle前号の第4章を踏まえている。

すでに前Struggleで明らかにしたように、われわれの帝大解体路線は、国家権力=当局の上からの大学解体路線(大学院大学・副学長制・人事権介入etc)の更にこれを補充する日共=民青派による中間部分からの大学解体路線(城内平和路線=運営協議会方式)との二大潮流に敵対し、下から大学を解体しょうとするものであり、その内実は大学の諸機関・諸機能の全人民への解放である。しかも、こうしたわれわれの帝大解体路線は、個別大学の枠を本来的に超えているのであって、それは、その闘いの端緒から、大学総体の変革を、したがって社会秩序総体の変革を担わないではおれないのであった。現在の全国学園闘争は極めて同時的かつ普遍的性格をもったものとして現象しているのは、この社会秩序総体の動揺に規定されているからにほかならない。大学の根底的変革が七〇年安保闘争と結合せざるをえないし、またそうしなければならない所以は、ここにある。秩序は動揺過程に入っているのだ。この点を抜きにしてわれわれは、共闘会議の自主的な結合の動き、全共闘運動なるものの全国組織化の流れ、その圧倒的力量の定型化の努力、を説明することはできないのである。

 かくて、われわれ京大会共闘は、こう主張する、!
提起したスローガンを血肉化せよ!
このスローガンの政治的軍事的内実を組織せよ!
これをバネにして攻撃的政治の展開へと進撃せよ!
京大全共闘を全国・関西の学園闘争・反戦闘争の拠点にせよ!
危機の形成と拡大を急げ!
全共闘のヘゲモニーを貫徹せよ!!
 われわれ全共闘は、日共=民青派に対する対抗権力として登場し、彼ら秩序派を政治的軍事的に圧倒し、左派の主導権を実体的に形成してきた。しかし、日共=民青派の打倒は、それ自体、決して自己目的ではない。われわれは、彼らを政治的軍事的に圧倒し互解へと追い落とすことによって、むしろそれと同時に、一挙的に、当局=国家権力を前面に引出し、当局=国家権力との直接的な対峠敵対関係に入らなければならないのだ。すなわち、局面は(当局=国家権力かわれわれ全共闘のヘゲモーニーか)というかたちで純化されなければならないのだ。この京大キャンパスにおいて〈二重権力状況)がつくりだされなければならないのだ。したがって現在の局面でハッキリしていることは、われわれ京大全共闘が民青=日共派に対する対抗権力としてその圧倒的力量を物質化したということ、そして更にこの全共闘の主導力は当局との二重権力への推進を要請されているということ、である。もはや、現局面では、補充的対抗権力としての位置は許されない。

現在的局面は要請している。
京大キャンパスを領導する力量=部隊として直接に敵権力と対決すること、まさにこのことを、反面は要請しているのだ。

 われわれは、以上の政治総括を、一三〜一四闘争の分析を通して、とりわけ民青=日共権力との関係のなかで、明らかにしておかなければならない。一三〜一四闘争は、日共=民青派にとって何であったのか。
 いうまでもなく、一三〜一四闘争は、一四日のC代議員大会を政治焦点とした闘争であった。それは、現在教養部の諸君が闘っている無期限ストライキを破壊するために、つまり闘争的破壊を直接的な目的とした集会であった。日共=民青派が、この闘争破壊を無条件に貫徹するためにデッチあげたのが、この集会であった。それは、大学秩序の動揺を激成し、かくして大学の根拠を問おうとする潮流に直接敵対し、この普遍的大衆的エネルギーを強権的に圧殺するための (反革命代議員大会)であった。彼らは、(秩序の番犬)として、当局=権力の補完的別動隊として、キゼンとして無条件に目的の貫徹を遂げようとした。(秩序の防衛か秩序の動揺か)が問われているとき、日共=民青派にとって、前者こそが至上命令であった。彼らの反革命代議員大会の防衛が無条件的な防衛であったことを事実をもって明らかにしておこう。彼らは、十二日から法経一周辺を制圧下におき、着々と軍備を準えた、駄経一ばかりか時計台建物全体にバリケードで封鎖体制をしき、さらに周辺の法経教室に武器・資材を運びこみ、攻撃の体制(「正当防衛」の偽瞞的宣伝を弄しつつ)を固め、外部から一切シャツト・アウトされた場で(非公開の) C代議員大会を開こうとした。

ここで問題は二点ある。
第一は、自己の反革命目的を貫徹するために反革命暴力を二日前から用意していたということ、第二は、その陰然たる非公開性である。すなわち、月共=民青派は、本部封鎖反対を大衆的には口にしながらも、事実上はきわめて「合法的に」(?)本部のあらゆる資材を摘発して強固なバリケードを築き、本部封鎖を行なったということである。本部封鎖の政治的内実を大衆的に明らかにすることを一切せずに、否それに反対しながら、まさに党利党略のみで本部封鎖を陰ぜんと策動したことである。われわれは、彼らのこの陰ぜんたる非公開性を弾劾せねばならないし、更にこの数日まえからの準備過程が、理論的には、ハッキリと右翼挑発主義によって貫かれていたことを明らかにしておかねばならない。すなわち、彼らは、集会の数日前から連旦100〜200名を法経二に宿泊させ、(果敢にも〉?われわれの闘うバリケードに対して、挑発のためのゲリラ的な突撃を展開してきたのである。われわれは、以上の事実でもって、彼らのC代議員大会の防衛が、無条件の挑発的防衛であったことを明らかにしえたであろうし、彼らのC議員大会が、なにゆえに、「偽マン的な」「反革命のための」デッチあげ」大会であったかということも、つまり日共=民青派の大会の基本的性格と位置をも、明らかにしえたであろう。したがってまた、日共=民青派のC代議員大会を粉砕することの意味も、彼らの反革命政治との関係なら、おのずから明らかにしえただろう。

だが、一三〜一四闘争のいびつな性格、屈折した構造は、どこからくるのであろうか。われわれは暴力一般論に逃亡することによって、真実から目をそむけてはならない。直接目に見えるものを越えて、目に見えないものを見きわめなければならない。はっきりさせておかなければならないのは、まず第一に、民青=日共派の暴力と全共闘の暴力との質的なちがいである。彼ら民青=日共派の暴力が闘う部隊に対する反革命暴力であること、この一点をしっかりと押えなければならない。彼ら日共=民青派は、ヒステリックにも、われわれ全共闘の暴力を「ファッショ的」・暴力行為とし、「最悪の悪あがき」ぅんぬんといっている。しかし「ファッショ的」暴力行為=「最後の悪あがき」は、むしろ彼ら日共、民青ではないのか。体制維持のための番犬として自ら登場し、中間階級の暴力を政治的に結集しょうとしているところのヒステリック集団こそ、彼らではないのか。そして全国いたるところの学園で工場で、体制が動揺し、秩序が互解を開始しはじめた現時点で、秩序の自衛隊として、秩序の番人として、最後の悪あがきをしているのは、彼らではないのか。

以上の点を確認した上でも、なおかつ、われわれは、一三〜一四闘争の輩出した諸問題とそれによる現局面の歪曲の問題を回避するわけにはゆかない。すなわち、この歪曲面は、国家権力=当局との暴力ではなくて、いわゆる体制運動の代行権力との暴力であることから生ずる(ゆがみ)として、この間題は把えかえさなければならない。エセ「反体制」運動の代行権力の存在による運動の〈ゆがみ〉を克服すること、せたそのために蒙むるわれわれ学生権力の歪小化を許してはならないということ、そして更には、こうした中間代行権力=日共=民青権力を打倒しないかぎり、つまり日共…民青のブルジョア的反革命暴力=政治を打倒しないかぎり、運動の構造的な屈折は止揚しえないということ、この点を現実の運動の中で貫徹することを抜きにして、京大におけるわれわれ全共闘の運動の展開は一切ありえないということ、この点において、われわれの間で、鉄の意志統一をとりつけなければならないのである。それも、なによりもまず、当局=国家権力との闘争のなかで、こうした運動構造の純化を貫徹することによって進めなければならないのである。
 したがって、われわれの行動綱領は、こうだ。
京大権力の中枢=本部時計台を攻略せよ!!
本部構内にわれわれの自己権力の自己権力の砦を構築せよ!! (了)
 (京都大学全学共闘会議『ストラグル』68・12・16




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