1968年、全共闘は日本史上かってない壮大な闘いを開始した


国家は組織された権威、支配、そして大衆に君臨する所有者階級の権力である・・・・極悪にして最も冷笑的な、人間性の完全否定のたるものである。
それは地上のすべての人びとの普遍的な連帯をばらばらにし、人びとのうちのある者を、他のすべての者を破滅させ、征服し、隷属させる目的のためにだけ、結合せしめる。

…国家のまさに本質を成す、この人間性にたいする極悪非道の否定は、国家の立場からするならば、その至高の義務であり、最大の美徳である。

・・・仲間にたいして背反すること、抑圧すること、略奪すること、収奪すること、暗殺したり隷属させたりすることは、普通は犯罪とみなされる。
だが他方では、公共生活においては、愛国主義の立場からすれば、これらの所業が国家のいやます栄光のため、国家の力の保持または拡大のためになされる時には、それらはすべて義務と美徳に転化してしまうのである。
・・・これはなぜ国家の全歴史が古今を通じて一連の胸くそ悪い犯罪にすぎないのかを、よく説明してくれる。

過去と現在を問わずあらゆる時代、あらゆる国の王、大臣が、そしてまた政治家、外交官、役人、軍人たちが、直截端的に道徳性と人間的正義の立場から裁かれるとするならば、なぜ百度も千度も重労働刑あるいは絞首刑の判決を受けるに値するのかを、説明してくれる。

国家の代理人によってされてきた、あるいは現に日々されつつあるいかなる恐怖、残忍、冒漬、あるいは偽誓、いかなる詐欺、内密の取引、冷笑的な窃盗、無茶苦茶な掠奪、あるいは後ろ暗い裏切りも、かくも伸縮自在で、重宝かつ恐るべき言葉、すなわち「お国のために」という言葉以外の口実の下でなされなかったものはないのである。
(Mikhail Aleksandrovich Bakunin)



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