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全学共闘会議が挑んだ構造
 

昭和18年に入ってもこの状況は続く。
・2月、約6ヶ月に渡り消耗戦を繰り返してきたガダルカナル島から日本軍は全面撤退。

・4月18日、連合艦隊司令長官山本五十六、ソロモン群島上空で戦死。
・5月18日、アッツ島の日本軍守備隊2600人玉砕。
消耗戦が続く。当時の物動の死命を制する船舶については、18年度には開戦前の3倍近い約112万総トンの生産を成し遂げたが、同年度の消耗はさらにその3倍近くに昇った。この年11月には軍需省が設置される。これは事実上、航空機生産省の性格を持つ行政機関。増大する航空機の消耗を補充するため、国家総力を挙げての航空機増産を始める。しかし時すでに開戦当時のベテランパイロットの多くは戦死し、増産された零戦に搭乗したのは新兵が多かった。10月には文系大学生の徴兵免除が廃止され学徒出陣が始まる。このころ国家総動員法に基づく「金属類回収令」による金属類の応召が本格化し、寝台・橋・橋の欄干・ストーブ・イス・ドア・ロッカー・扇風機・火鉢など様々なものが回収されている。この辺りから食料の配給も少量となり遅配も重ね、家族総出の買い出し部隊が都会より農村へ繰り出し始める。

昭和19年(終戦1年前)でさえ
日本皇軍中枢は「想像を絶する汚職腐敗」だった、
と時の文相・二宮が言っている。
『敗因を衝く』より。


昭和19年に入ると戦局はさらに悪化。
・3月、インパール作戦開始(7月に中止)

・6月15日、米軍サイパン島に上陸(7月7日日本軍守備隊3万人玉砕)

・6月19日、マリアナ沖海戦。連合艦隊、空母・航空機の大半を喪失。

この戦局悪化のため、東条首相に非難が集中、7月18日東条内閣総辞職。後任には小磯国昭(陸軍大将)が首相に就任。

・10月24日、レイテ沖海戦。連合艦隊、事実上壊滅。

この頃から陸海軍航空隊の特別攻撃隊による敵艦戦への体当たり攻撃、いわゆる神風特攻が始まる。

・11月24日サイパン島からのB29、東京を初空襲。

この年、相次ぐ徴兵、消耗戦による膨大な物資消費、無茶な生産計画などのため労働力不足が危機的レベルに達する。前年より始まっていた学徒の食糧増産・国防施設などへの勤労動員は、3月より通年動員となる。8月、女子挺身隊勤労令公布。9月、朝鮮でも徴用令が実施され多数の朝鮮人労働者が内地に強制移送される。また中国人労働者の強制連行を含む移送も拡大。また米軍はマリアナを基地として航空機・潜水艦による日本の海上補給路に全面的攻撃を開始。ついに日本本土と南方、さらには中国大陸との海上交通は事実上遮断され物資の補給は完全に途絶えた。以下、8月11日「最高戦争指導会議」での藤原軍需省の説明より抜粋、

「然れども国民生活を中心とする民需部門の犠牲により、漸増せる軍需を充足し来れるも、既に現状に於いて主要食糧は一応確保し得るも、爾余の諸産業は全面的に操業を短縮若は中止せられあるの実状にして、徹底的に重点を形成せる軍需産業に於いても、十九年度初頭を頂点として爾後は低下の傾向にあるを否定し得ず。又現状程度の国民生活を維持することも逐次困難となる趨勢に在り、即ち戦争第四年たる十九年度末には国力の弾撥性は概ね喪失するものと認められる。」

事実上、マリアナの陥落により日本の敗戦は決定的となっていた。



昭和20年、B29による空襲が本格化。

・2月19日、米軍、硫黄島上陸。(3月17日、日本軍守備隊玉砕)

・3月10日、B29による東京大空襲。

・4月1日、米軍、沖縄本島に上陸。(6月23日、日本軍守備隊玉砕)

全国各地へB29が空襲。各都市は焼け野原となる。港には機雷が投下され船の寄港も困難になる。軍需工場でも生産のための物資もなくなり、航空機・艦船のための燃料も無くなり、日本経済は壊滅状態。外地からの輸入が途絶えた食料事情はさらに悪化。16年度のには一日2105カロリー(必要量の98%)だった食料配給は、20年度には1783カロリー(同83%)に下げられた。9月には餓死者が出ると予測される。2月以降、本土決戦を叫ぶ陸軍により、内地防衛軍が編成され、沿岸配備師団・決戦師団・兵站部隊に約200万人の大動員が掛けられる。しかし兵器の供給は追いつかず小銃ですら所要量に対して50%ほどが供給されたに過ぎない。決戦師団では戦車に対して火炎瓶を投げる訓練、竹槍訓練などが行われている。



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