戦争犯罪人をならべた内閣で、戦後が始まった。
再び、侵略殺人の成金
犯罪者どもが支配する「戦後」に
全共闘は闘いを挑んで行った。
 

1945年敗戦
あんな目に合っても未だ象徴などと言い出す始末である。
封建時代を経て明治という腐った奴隷時代に
更に
卑屈に飼育されて国民主権という意味すら理解出来ないらしい。


戦争犯罪人をならべた戦後最初の東久邇内閣

 1945年(昭和20年)8月17日東久邇宮は近衛と小磯両内閣の国務相兼情報局総裁緒方竹虎(朝日新聞社もと主筆)の協力をえて、新内閣の人選をおわった。
3000万のアジアの民と310万の日本人を殺した殺人遂行者どもが閣僚なのであった。後に来る時代がどういうものになるか想像付こうというものである。

外相は重光、内相は山崎巌(特高官僚、もと東条内閣の内務次官)、この二人は木戸の推せん、蔵相津島寿一(官僚)、陸柏下村定、海相米内、法相岩田百造(弁護士出身)、文相前田多門、農相千石興太郎(産業組合出身)、軍需相中島知久平、運輸相小日向直登、厚生相松村謙三、国務相は近衛、小畑中将、緒方の三人。下村は政治にも派閥にも関係なく、純粋の参謀として終始した人物で宮が自分で選んだ。

ところで緒方は、日本最初の右翼団体で、明治・大正の大陸侵略政策を推進した玄洋社(首領は頭山満)の同志であった。緒方は「絶対にデマだ」と強く否定していたが、東久邇の『一皇族の戦争日記』によれば、この年のはじめ玄洋社の顧問に就任していた(二三一ページ)。顔触れでみるとおり非常に右翼的な戦犯的内閣であった。とくに軍需工業で大もうけをし、数年来軍国主義政策の推進者であった政友会の中島知久平(中島飛行機の社長)が参加していることは、ポ宣言によって軍隊の解体を実行する内閣としては「戦継続ではないか」という感じを国民にあたえた。さらに支那事変の責任者の近衛が国務相に任命されている。これも問題だ。さいごに内柏の山崎、すなわち彼の任命は、敗戦の混乱で、共産党が復活することを防止するためであった。とにかくこの内閣の使命は、内外の数百万にのぼる軍隊の完全な降伏と武装解除である。

占領政策が開始されても、なお、政治犯・思想犯の拘留は相次いでいた。
元特高官僚山崎巌内相は、
「思想取締の秘密警察は現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う共産主義者は容赦なく逮捕する」
 と、1945年10月3日ロイター通信特派員に語った。
GHQはその翌日四日午後、「政治的自由の制限除去に関する覚書」を発した。(内相らの罷免、思想・言論規制法規の廃止、特高の廃止、政治犯の釈放等)。日本国民はこれほど分かり易い犯罪人や犯罪事項の排除すらGHQの手を借りないと出来ない、それこそ骨の髄まで奴隷根性が染み着いていたのである。




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