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戦後、日本政府は率先してGHQに慰安所(RAA)を提供した

軍慰安所は昭和7年(1932)、上海に作られたのが最初で、以後、日本占領地に次々と作られていきました。最終的には8万人とも20万人ともいわれる従軍慰安婦ですが、一応、日本人の場合は21歳以上で本人の意思確認が必要とされていました。朝鮮人、台湾人の場合は強制連行も多かった


昭和13年2月7日、上海・揚家宅にできた慰安所に掲げられた「慰安所規定」全文を書いておきましょう。軍医だった麻生徹男氏が撮影した写真から書き起こしたものですが、写真が不鮮明なので、一部推測を含みます。

慰安所規定

一、本慰安所には、陸軍々人軍属(軍夫を除く)の外、入場を許さず。
  入場者は慰安所外出証を所持すること。
一、入場者は必ず受付において料金を支払い、之(これ)と引替に入場券及「サック」一個を受け取ること。
一、入場券の料金、左の如し
   下士官・兵・軍属 金二円
一、入場券の効力は当日限りとし、若(も)し入室せざる時は現金と引替をなすものとす。
  但し、一旦、酌婦に渡したるものは返戻せず。
一、入場券を買い求めたる者は、指定せられたる番号の室に入ること。但し時間は三十分とす。
一、入室と同時に入場券を酌婦に渡すこと。
一、室内に於ては、飲酒を禁ず。
一、用済みの上は、直に退室すること。
一、規定を守らざる者、及、軍旗風紀を紊(みだ)す者は退場せしむ。
一、「サック」を使用せざる者は接婦を禁ず。
一、入場(時間?)
   兵     自午前十時 至午後五時
   下士官軍属 自午後一時 至午後九時
但し(?)
1 ●●●●●●●時間の変更をせず。
2 二、八の日は(?)検診日に付、午前は●禁ず(?)

昭和十三年十二月三日(?)
東兵站司令部

麻生氏の「上海より上海へ」(石風社)は必読。
《彼女らは「皇軍兵士」の慰問使として朝鮮及び北九州の各地より募集せられた連中であった。興味あることには、朝鮮婦人の方は年齢も若く肉体的にも無垢を思わせる者がたくさんいたが、北九州関係の分は既往にその道の商売をしていた者が大部分で、後者の中には鼠蹊部に大きな切開の瘢痕を有する者もしばしばあった。私はのちほど軍医会同にて一文を物して、この娼婦の質の向上を要求した。即ち内地を喰いつめたような者を戦地へくらがえさせられては、将兵は、はなはだもって迷惑であると》

戦後、日本政府は率先してGHQに慰安所(RAA)を提供した



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