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1968年、全共闘は明治以来の軍事利権の構造に対して日本史上かってない壮大な闘いを開始した


日露戦争の成金豪遊・尾竹国観画
自衛隊のイラク侵略利権にがっている


明治38年(1905)3月15日、満州軍総司令部元帥大山が奉天入城

 日露戦争で勝ったため、株は暴騰、事業は勃興、いわゆる成金が続出した。これが日本初のバブル時代。盛んに札びらを切って贅沢三昧で、大豪遊。下駄の裏金や足袋の留め金まで純金にしたり、お茶屋の玄関先で靴が見えないからと札に火をつけて明かりを採った大馬鹿者がいたそうな。 これは日本画家・で。


「帝国国防方針」改定。
 改定した「帝国国防方針」においては、次のように常備兵力の基本が定められた。陸軍25個師団、海軍は88艦隊である。が財政難と陸海軍の競合により整備は遅々として進展しない。海軍はWWI後、華々しいジュトランド海戦に刺激され、大鑑巨砲主義に凝り固まり、88艦隊の実現に向け予算は大幅に増加されていった。因みに大正10(1921)年(後述するワシントン軍縮条約調印の年)には、建艦費、維持費、設備費、軍需品費等を合わせた海軍の予算は、国家予算の32%に達し、更に陸軍が17%で、軍事予算が実に国家予算の48%にまで膨らみ、この傾向は逐年更に増加の一途を辿ることは確実という、まさに異常な財政状態になりつつあった。


米 騒 動
 日露戦争に始まる日本の軍国主義は、一部の軍需産業の繁栄や、戦争特需を利用した戦争成金といわれる資本化を育てた。1917年にシベリアへの出兵が始まると、戦争による特需をあてこんだ大企業や資本家が米を買い占めたために米の価格が暴騰した。
 米価の高騰に苦しむ富山県魚津町の漁村の女性達が県外への米の積み出しを阻止しようとしたことから始まり、富山県の海岸一帯の主婦達が役場や米屋を襲って米の安売りを要求した。これを新聞が『越中女一揆』と報道するとたちまち騒動は全国的な規模にひろがった。
 52日間に渡る米騒動の鎮圧結果は2人が死刑、2645人が懲役刑、検事処分を受けた者の総数は8253人にのぼった。


欧州大戦では日本は参戦国とはいっても戦争らしい気分もなく、戦争成金は実に屈指にいとまないぐらいに及んだ。しかもその富は普遍的でなく一般の羨望の眼は成金者流に注がれ『自動車の数と社会主義者の数とは正比例する』(田中源太郎・亀岡)といわれるとおりであった。物価の高騰で50〜60円の月給取りでは生活も覚束ない状況となった(“高い物価と生活” 日出 大正7・2・14〜18連載)。


身をもつて神風となり、皇国悠久の大義に生きる神風特別攻撃隊五神鷲の壮挙は、戦局の帰趨岐れんとする決戦段階に慮して身を捨てて国を救はんとする皇軍の精神である……科学と物量とを唯一つの恃(たの)みとする敵に対して、科学を超越した必死必中のわが戦法はわが尊厳なる国体に出づる崇高たる戦ひの妙技であらう》
 昭和19年10月29日、朝日新聞は第1回神風特攻隊をこう褒めたたえました。このときすでに 《科学を超越した戦法》
《今までに出撃した隊のなかには、飛行機の故障で帰ってきたのもあるが、万遺憾のないよう十分に注意せよ。また、すこしぐらいの故障で帰るようでは、意志力がたりない。……敵艦に突入する時は、目を見開いていることだ。目をつぶって突込むような者は、特攻隊になっていないはずだ》(高木俊朗「特攻基地知覧」)
 清原勉少尉(当時24歳)の言葉です。こうして清原隊は、昭和20年4月16日に出撃、全12名のうち9名が玉砕したのでした。



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