新たなる前進のために
 

東大闘争反撃宣言
全共闘・4・3青医連M氏

、、、 東大闘争は現在的課題に対する闘いであると同時に、更に将来的に続けて行かなければならない闘いを築くための闘いでもあるのだ。すべての闘いは、そのように、過去の闘いによって築かれたものの上に立って闘われるものであると同時に、「明日」 の闘いのために更に何かを築き上げるためのものでもあろろう。

 東大闘争が、単に「大学」の枠の中の諸矛盾に対する闘いとしてでなく、「大学」 の矛盾が「社会」の矛盾、「体制」の矛盾の一部分であるが故に、必然的に闘いは外延化し、普遍化する、という広い横断的視覚と、東大闘争の担っている現在的課題が、日本の歴史の文脈の中の現在的課題であり、この闘いの闘われ方自体が「大学」と「社会」の明日のあり方を決める一つのファクターになって行く、という縦断的視角を真にもち得た時に、私たちの闘いは更に巨歩的に前進する可能性をもつであろう。

私たちが、自らの闘いの内容を、いよいよ深く、いよいよ広く、いよいよ高いものにして行くことこそが、実は真に多くの人々と結合されて行くことになるのだ、と私は思う。それは、決して戦術の物理的エスカレートとか、要求項目やスローガンの量的拡大のことではない。それは、闘いのより深い本質化であり、より広く、より高い普遍化のことである。「東大闘争の原点と理念」について語ろうとする時のある種の困難さは何に起因するか。それは、私たちが、「原点」あるいは「理念」というものを、スタティック(静止的)にでなく、ダイナミックにとらえるからである。

私たちは、闘いの「原点」とは、闘いの現象的始まりの時点での問題意識や「当面の要求」のことではなく、まさに闘いのプロセスを通していよいよ鮮明になってくる問題の根源、闘いの本質的課題のことであると考えるからである。逆説的に言うならば、闘いの「原点」とは、まさに闘いを通じて深く、さらに深くととらえられて行くものであり、その意味で「原点」は、「理念」でもあるのだ。弁証法的精神にとっては、「限界」とは、新たなる「出発」である。闘いの困難な諸局面をのりこえて前進する唯一の正しい道は、闘いの内容の、より深い本質化であり、普遍化である。「矛盾」や「混迷」 の中に、私たちを更に前進させるモメントがあるのだ。、、、、