10・8、11・12羽田闘争
 


10.8闘争
1967年10月8日、佐藤首相の南ベトナム訪問を阻止するため中核派、社学同、解放派からなる三派全学連を中心とする部隊は羽田周辺に集結した。
はじめてヘルメットと角材で武装した。

社学同、解放派部隊900人は鈴ケ森ランプから高速道路上を進撃。ゲバ棒を振るい、60年安保闘争以来はじめて機動隊の阻止線を撃破し実力で突破した。さらに空港に通じる穴守橋上を固める機動隊と激しく衝突し、橋をふさぐようにおかれた7台の警備車に放火するなど現場は大混乱となった。

また、1000人の中核派部隊は弁天橋に進撃。迎え撃った機動隊を撃破し、激しい放水の中、弁天橋上で警備車を奪うなど激しい乱闘を繰り返した。

この闘いで中核派の京大生山崎博昭が殺され、重軽傷者600人あまり、逮捕者58人が出た。街頭での反体制運動で死者がでたのは、60年安保闘争時の樺美智子以来のことで、社会に多大の衝撃を与え、同時に警察力に押え込まれ沈滞していた学生運動が再び高揚する契機となった。

この闘い以後、いわゆる三派全学連は勇名を馳せヘルメットとゲバ棒で武装した新左翼のデモ隊と機動隊との激しいゲバルトが一般化した。佐世保、三里塚、王子とのちに「激動の7ヵ月」といわれる大闘争が連続的に闘われることになる。有名な全共闘の闘争スタイルも、直接のルーツはこの10.8闘争にあるとされ、67年10月8日は革命的左翼誕生の日として新左翼史上特筆されるのである。


1967.10・8
弁天橋を渡れ












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